講師プロフィール
こんにちは。女性向けの起業・集客塾「Girl's Standard」の講師を担当する株式会社ドリームテラーの黒瀬 圭(くろせ けい)と申します。
1981年生まれ。生まれも育ちも大阪ですが(大阪市内の福島区というところ)、現在は沖縄在住です。
会社としては、ホームページ制作・WEB集客支援、子育て世代応援サイトStand Up!の運営、主婦の方の就業サポート・子育て支援に関する業務を行っています。
ドリームテラーは「夢の語り手」という意味です。
夢を語って、価値観を共有できる色んな人を巻き込んで、みんなで大きな事・面白い事を成し遂げていきたい。
そんな想いからこの社名にしました。
見た目の雰囲気からは、あまり情熱を感じないと言われますが、結構色々な事にチャレンジしてるんですよ(笑)
このプロフィールで、そんな僕の事を少しでも知ってもらえると嬉しいです。
かなり長くなりますが、どうかお付き合い下さいm(_ _)m
少年時代はちびっ子探検隊の隊長♪
小学校の頃は、よく友達を「冒険に行こう!」と誘って、知らない街や行ったことのない場所を探検するのが好きでした。
今から思えば、全然遠くない場所だったんですが、子供の頃の自分にとっては、いつもの行動エリアから信号を一つ渡って先に進むだけでも大冒険。
探検に疲れたら、初めて入るコンビニやスーパーでお菓子を買って栄養補給♪
みたいな事をしてました。
きっとゲームの世界に憧れていたんですね(笑)
とにかくワクワク、ドキドキが大好きな子供でした。
ちなみに写真は次男ですが、ほぼ顔が一緒なので、自分の幼少期のイメージ写真という事にしておいて下さい(笑)
中学生時代から起業が目標だったけど・・・
中学生の頃になると、将来は起業して自分で仕事をしたい!と考えるようになりました。
ただ、その中学の頃に個人事業をしていた父親が自己破産し、母親も病気で亡くなっています。
8歳年上の姉も精神的に少し弱い部分があり・・・
という状況で
中学生ながら「将来は自分1人で父親と姉の2人の面倒を見ないといけなくなるかもしれない」という危機感を感じていました。
ただ、当時は起業と言っても今のように簡単に起業できるような時代ではなく、「30歳・40歳ぐらいまで会社の中でしっかり経験を積んで、そのスキル・人脈を持って独立をする」という流れが一般的な時代でした。
でも、自分の場合、父親と姉の事があったので、一般的な起業の流れを進むと、将来、会社からの安定した給与を手放せないような状況になっているかもしれないと考えました。
要は後手を踏んでしまうと、「自分の人生をコントロールできなくなるかもしれない」と感じたんです。
だから僕は、逆に早く起業して、30歳までに父親と姉の2人を養えるぐらい稼げるようにしよう!
その後に自分の好きな事にどんどんチャレンジしよう!という発想に切り替えました。
そういう訳で、僕は、中学・高校ぐらいから将来の起業に焦りのようなものを感じていたんです^^;
起業をさらに強く決意!
最初は漠然とした考えでしたが、高校、大学に上がるにつれて「起業をしたい!」という想いは次第に強くなりました。
目標が明確になったのは、大学の3回生の頃。
就職活動でインターネットに触れる機会が増え、人生初のPCを購入。
そこから、趣味でホームページを作ってみたりして一気にネットの世界にのめり込みました。
ネットは世界中と繋がっているし、進歩も早い。
ITに関わる仕事をすれば絶対に刺激的で面白いはず!
直感的にそう思いました。
そして、その瞬間から自分の進む道が決まったんです。
妻との出会い、2人が幸せになれる人生設計
大学時代、レストランのバイト先で現在の妻と出会いました。
そして交際3ヵ月で同棲をスタート。
沖縄人の妻は当時から、「将来は沖縄に帰りたい」と事あるごとに言っていました。
自分も、どうせ起業するなら、全くコネのない新しい土地で起業することで、がむしゃらに頑張るしかない状況を作って、自分を追い込みたい。
そんな風に考えていたので、2人の将来の幸せを考えるなら、沖縄で起業するのがベストだろうという結論になりました。
自分を追い込みたかったという部分については、よく「ストイック」と言われますが、追い込まれないとやらないタイプなので^^; 笑
後は、高校、大学時代にインディーズバンドでメジャーを目指している友達や、サッカーで全国を目指している知り合いが居たりして、そういう「何かに打ち込んで夢を追っている」友達を羨ましく感じていて、自分にはそういうのが無いのがコンプレックスだったんですよね。。
だから、自分は、、「もう、仕事でやりきるしか無いな!」と思ったんです。
人生設計通り?順調な滑り出し
仕事に打ち込むために早めに身を固めたいという意識もあり、妻とは交際3年目、自分が23歳の時に結婚しました。
勝手に自分の中で、就職して3年以内に会社を辞めて起業すると決めていたのですが、結果的に2年半で退職し、翌月には沖縄に移住しました。
そして、沖縄に移住した翌日には個人事業の開業届を出し、沖縄でホームページ制作の仕事を始めました。
それが25歳の時です。
大阪にいる間に会社のホームページを準備し、SEO対策で上位に表示できていたので、沖縄に来てからもバイトなどをすることもなく、順調に仕事を受注することができました。
起業して1年半で法人化し、当初自分が思い描いていた計画通り進んでいきました。
スタート期としては順調過ぎるほどで、「やってみれば何とかなるもんやな~♪」
そんな感覚でいました。
組織作りという壁&有り得ないトラブル・・・
法人化してしばらくたった頃、会社を大きくするために人を雇うことにしました。
能力のある人を雇って、給料さえしっかり支払っていければ何の問題もないと簡単に考えていたのですが、経営者として人の上に立つこと、円滑に回る組織を作ることの難しさに直面しました。
従業員とのコミュニケーションや、従業員のモチベーションをどう高めれば良いか?など、色んな事に悩みました。
人を雇っても期待していた働きをしてもらえなかったり、良い人材を確保できたと思っても、すぐに辞めてしまってなかなか定着しなかったりと、全くうまく行かず・・・
自分は組織の中で人の上に立つ事に向いていないんじゃないか・・・
とまで考えるようになりました。
そして、組織にこだわるあまり、無駄な人件費はどんどん膨らみ会社の収支も次第に不安定になっていきました。
それでも何とかやってはいけていたのですが、もっと、うまくやれるはず!と、心の中にずっとモヤモヤしたものがある状態でした。
そんな時、ネットショップの管理をサポートしていた取引先の個人事業主の方から「関東で物産展をやるので協力してほしい。うまく行けば結構な利益が出る」と話を持ちかけられ、迷うことなく協力することにしました。
物産展を手伝った結果
物産展という慣れない業務を必死でやり遂げたんですが、結果は、その個人事業主の方に売上、レジのお金等を持ち逃げされるというまさかの事態に。
弁護士さんにも相談しましたが、先方との話し合いは全く進まず、裁判に無益な時間をかけるよりも、会社を立て直す事に集中しようという判断をしました。
200万円ほどの損失を出してしまいましたが高い高い勉強代という事で、切り替えて頑張るしかないなと。。。
色んな人に助けられ、仕事に対する意識が変わった
この経験は、資金の面では本当に大変で、ギリギリのところまで追い詰められましたが、今では良い経験になったと前向きに捉えています。
事情を知ったクライアントが新しい仕事を依頼してくれたり、仕事仲間が案件を紹介してくれたり、色んな人にやさしい手を差し伸べて頂き、何とか厳しい局面を乗り切ることができました。
一番勉強になったのは、会社の軸となる事業がしっかり安定もしていないのに経験の無い別事業に簡単に手を出すなんて事はしてはいけない。
まずはとにかく1点集中で自分のビジネスの質を高める事に専念すべきだということです。
また、自分は昔から「ゲームの攻略本なんていらない。自分の力だけで進みたい」という感覚が有り、経営に関する本を読んだり、勉強したりする事を敢えて避けて来ました。
ボロボロに傷ついてもいいから、茨(イバラ)の道を裸で進みたい。
そんな風に考えていました。
その結果、本当にボロボロになりました(笑)
成長できたのは確かですが、やっぱり、将来の目標のためにもしっかり勉強して、色んな考えや方法論を吸収していく必要があると感じるようになったのは、この経験が大きなきっかけになっていると思います。
でもね。
やっぱり
「ゲームの攻略本なんていらない。」
この感覚は捨てきれません。
今ではそれで良いと思っていますし、そうするしか辿り着けない場所があると信じているので(笑)
更なる転機は、やっぱり子どもが生まれた事
それで、現在の活動に至るまでの経緯ですが、やっぱり大きな転機となったのは、子どもが生まれた事ですね。
元々、ホームページ制作などの制作業務にこだわる考え方は無くて、あくまでWEBをツールとして社会に役立つサービスを展開したいと考えていたので、自分が「子育て世代」というものになった事をキッカケに、子育て支援の分野に関するWEBサービスを立ち上げることを検討し始めました。
で、自分の妻も含め、子どもがいる主婦の方は仕事がしづらいという状況があるという事を間近でも見ていたので、主婦の方が働きやすい条件の求人ばかりを集めた「主婦特化求人」をメインコンテンツとした子育て世代応援サイトStand Up!を立ち上げる事になりました。
Stand Up!を立ち上げた事をキッカケに、子どもがいるという理由でそもそも働きたくても働けないという主婦の方も多いという事を知り、その人達をどうやってサポートしようか考える日々が続きました。
ただ、やっぱりベビーシッターやチャイルドマインダーは高くて料金的に合わないし・・・難しいなと・・・
そんな時に知ったのが株式会社AsMamaのワンコインで託児をシェアする「子育てシェア」というサービスです。Facebookでこのサービスの情報を見つけた時は感動しました!
「これだ!!」と(笑)
横浜の企業が全国に展開しているサービスでしたが、沖縄にはまだ入ってきていないので、コレを沖縄に持ってくるのが早い!!と思ったんです。
サービスを見つけてすぐにAsMamaのホームページから「横浜まで会いに行きます!」と熱意を込めたメッセージを送信。
翌日に返信があり、すぐにスケジュール調整をして実際に横浜までAsMamaの社長 甲田 恵子さんに会いに行きました。
そして、横浜で先方と会った当日に沖縄での説明会の日程を決めて、ホテルに戻ってすぐFacebookで説明会のイベントページを作成。
翌朝、起きたら一夜でイベントの参加申請が30人超えになっていた事には感動しました(*^^*)
そんなこんなで、沖縄でも無事にAsMamaの子育てシェアのサービスが拡大しつつあります。これはあくまで別会社の事業なので、自分としてはサポートという立場ですが、本当に素敵な仕組みです。
こういった活動の結果、AsMamaの現地スタッフであるママサポーターの方を含め、自分の周りには主婦の方が非常に多くなりました。
自分の本業がWEB制作・集客支援という事もあり、周りの方から、ハンドメイドの作品をWEBで売る方法を教えてほしいとか、事業のWEB集客について教えて欲しいという相談もあったりして、自然な流れでセミナー・講義という形で周りの主婦・女性の方にWEBや集客のノウハウを教え始めました。
これが女性向けにセミナー・講義を初めたキッカケです。
最初はリアルなセミナーの定期開催も検討していたのですが、中々コンスタントに時間を作りにくい主婦の方も多く、全国の主婦・女性の方をサポートする意味でも「動画講座という形を取る方が受講しやすく、幅広い人をサポート出来る」という判断となり、現在のスタイルで起業・集客講座を行う形になりました。
今後のビジョン&夢
アイデアの人で在りたい
僕の価値観の軸は「企画・アイデアの人で在りたい」という事です。
ブルーハーツの歌詞そのまんまなのですが、「面白いことを考えて、みんなを楽しくさせたいな」まさにこれだけなんです。
自分の理想型は
何か面白いアイデアを思いついたら、すぐに数名に、電話なりメールなりで連絡を取って、翌日にはプロジェクトが動き出している
そんな感じです。
思いついたアイデアをスピーディーに実現できる、色んなスキルを持った「仲間・チーム」と「影響力」、「資金力」が欲しい。
そうなれば、おじいちゃんになって、病院で寝たきりになっても、脳さえ元気なら世の中に面白い事を仕掛けられますしね♪
現在は道半ばと言うより、スタートラインも良いところなんですが、一歩ずつ頑張っています。
最近は、例えば、こんな活動を通じて、遊び心があって「誰かのために」という意識で行動できる仲間作りをしています。
異業種交流サークルYumenomi
夢飲みと夢の実をかけたネーミングで、黒瀬が主催している交流イベントです。
異業種交流会というと、スーツをきた男性が堅苦しく名刺交換するようなイメージが強いと思いますが、男女平等に参加できて、遊びも学びもある楽しい交流会を作りたいという想いで立ち上げました。
ただの交流会ではなく、例えば「大人の職業体験Night」というイベントでは、DJ、バーテンダー、フォトグラファー、劇団員、スタイリストなど、大人がちょっと憧れる職業のプロの方を呼んで大人が職業体験するというイベントを実施しました。
共に遊んで共に学ぶ、まずは仲間になって、仕事の話は信頼関係を作ったその後から!そういう感じです。
暮らしにエンタ
「日常に遊びをプラス」をコンセプトにSNSやWEBで誰でも参加できる懸賞付きの遊びミッションを出題するという企画。
単なる遊び企画だけでなく、地域の危ない場所を見つけて投稿、抽選でプレゼントも当たる安全パトロールミッションなど、遊びを通じて社会貢献に繋がるプロジェクト等も行っています。
Girl’s Standard/女性の経済的自立の支援はライフワーク
最後になりますが、女性向けの起業・集客塾「Girl’s Standard」の取り組みは、活動の一つというレベルのものでなく、こういった女性の経済的自立の支援は自分のライフワークとして捉えています。
よく「なんで、そこまで主婦・女性の支援にこだわるの??」と聞かれる事が有りますが、すごく真面目な話、これから人口減少社会に突入する日本で、大きな希望は「女性の社会進出」にあると思っています。
逆にそこが本当の意味で進んでいかないと日本が沈没する・・・という危機感もあったりします。
Girl’s Standardは「女性が新しい価値基準を作る」という意味でのネーミングです。
本気で、自分の人生をかけて、女性の起業、長く続くビジネス、その結果として「女性の方が思い通りの人生を歩んでいく事」の支援をしてきたいと考えています。
先生とか呼ばれるのは苦手で、受講生の方とは友達みたいになってしまう事もありますが、厳しい部分を持ちつつも、講師と受講生という壁を作らず、同じ目線で寄り添うような立場で居たいなと思います。
あまり講師らしい講師ではありませんが、宜しくお願いします!
目標の実現のために「今は歯を食いしばって頑張る時」みたいな考え方はあまり好きではありません。
全ての瞬間を楽しみながら進んでいける道がきっとあります。
一緒に成長していきましょう♪
以上、長くなりましたが、講師紹介として自分のライフストーリーを紹介させて頂きました(*^^*)